AIR JORDAN III TINKER
デザイン誕生まで
エア ジョーダン 3は、Nikeとマイケル・ジョーダンのその後の関係性に大きな影響を与える、重要なシューズだった。1987年、新しいデザインについてのミーティングがおこなわれたものの、話し合いは難航。プロジェクトは、「これを何とかしてくれ」という曖昧な指示とともに、フォルダという形でティンカー・ハットフィールドに手渡された。当時の彼は、エア レボリューション バスケットボールシューズを含む、Air Packを完成させたばかりだった。フォルダを開いてまず目に入ってきたのは、新しいロゴのスケッチ。脚を広げてダンクを決めるジョーダンの有名な姿の輪郭が、紙の上にトレースされていた。
「フォルダを受け取ったあと、すぐに飛行機に乗って会いに行ったよ。マイケル・ジョーダンのことをよく知らなければと思った」ハットフィールドは振り返る。「話をしてみて、彼が良いセンスの持ち主だということに気づいたんだ。マイケルは、箱から出してすぐに履ける快適なバスケットボールシューズが欲しいと言った。履き慣らす必要がないシューズを求めていたんだ」その後、彼はNike本社のあるビーバートンに戻り、スケッチと試作品作りを開始。エア レボリューションのミッドソールを使い、ミッドカットのシルエットを製作。素材には、これまでよりも柔らかいレザーを選んだ。さらに、ジョーダンにシューズを説明するための簡単な絵も用意した。シューズには新しいJumpmanロゴの刺繍バージョンを追加し、Swoosh用にスペースを確保。また、Jumpmanロゴを使った初めてのアパレル製作に取りかかるべく、チームにグラフィックデザイナーを採用した。
そして、運命の瞬間が訪れる。ハットフィールドは、ジョーダンが最後のミーティングに4時間遅れで到着し、席に着くなり「できたものを見せてくれ」と言ったことを覚えている。彼は、フィル・ナイトをはじめとする、その部屋にいた人々に気づかれないようエア ジョーダン 3の試作品を持ち込んでいた。布の下から登場したのは、意外性のあるブラックのカラーをまとった、Swooshのないミッドカットのデザインだった。
「彼に『このアイデアが気に入ってもらえるといいんだけど』って言ったよ。それまでのバスケットボールシューズとは違っていたからね」試作品が公開された後のことを振り返るハットフィールド。「マイケルはシューズを僕から取り上げたんだ。それから5分と経たないうちに笑顔になって、たくさんの質問をしてきた。ミーティングは20分以内で終了。そして、エア ジョーダン 3が生まれたんだ」エア ジョーダン 3は、30年前の誕生時からSwooshが不在のままだったが、最新のエア ジョーダン 3 "Tinker" では、初公開となる "Fire Red" のカラーでオリジナルのスケッチ通りに配置されている。「シューズを見れば、Swooshを載せるつもりでデザインされたのがわかると思う」と彼は語る。「Swooshがあるほうがいいと思うんだ。そのためにスペースを確保したんだからね。でもあの当時は、ジョーダンが主役であることを強くアピールするシューズにしたかったんだ」