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2002年誕生

SB ダンクの15年

ナイキ SB ダンクの15周年を記念して、時代を沸かせたスニーカーが再登場。Nike SBが誇るDunkシューズをさらに振り返ってみよう。

SUPA

SB ダンク LOW プロ

2002年Colors Byシリーズ第2弾のシューズ。デザインに参加したのは、ミュージシャンでもありプロスケーターでもあった「スパ」こと、ダニー・スパシリラットだ。ミュージシャンのリッチー・スパは少年時代に思いをはせて曲を書いているが、スケーターのスパは、自身のルーツをたどって、東海岸、とりわけ地元ニューヨークシティを大々的に表現したものを作りたいと考えた。この構想をコンパクトにまとめ、街で最もアイコニックなスポーツチームにオマージュを捧げたホワイト、オレンジ、ブルーで彩られたオールレザーのダンクが完成した。

GINO

SB ダンク LOW プロ

Colors Byシリーズ第4弾のシューズ。プロスケーターのジーノ・イヌアッチが、オリジナルのNikeスケートボードチームに加わった。当時、公式ロゴはまだなかったものの、素晴らしいチームができたのは間違いない。メンバー全員がそれぞれ意見を出し、ジーノも同様に、「以前からダークカラーに魅力を感じていて、アッパーとボトムを同じカラーで仕上げたいと思っていた」とデザイン構想を明かした。さらに部分的に通気孔を入れ、他のモデルとは一味違った2002ダンクが完成した。

BUCK

SB ダンク LOW プロ

Nikeの創業者フィル・ナイトは、オレゴン州の出身であることを常に誇りとしている。オレゴン大学の卒業生で、大学のトラックを走っていたことも彼の誇りだ。SB ダンクの15年を振り返ると、大切なストーリーのないダンクは一足たりともないことは明らかである。2003年にNikeの創立者に敬意を表したデザインの構想が生まれたとき、オレゴン大学のスクールカラーとフィル・ナイトのニックネームを背面にあしらったデザインが採用された。それに反対した者は誰もいなかった。

SUPREME

SB ダンク LOW プロ

多くのファンが、ダンク SBシリーズの頂点に立つシューズはローカットのSupremeモデルだと考えているが、まさにその通りだ。これまでテクスチャード加工によるエレファントスキン模様のヌバックをジョーダン 3から受け継いで、別のシューズに取り入れようとしたデザイナーはいなかった。それに挑んだのがシュプリームであり、Nikeも喜んで応じた。多くの物議を醸しだしたシュプリームだったが、パックが発売されてから事態が一変したことは、言うまでもない。

PIGEON

SB ダンク LOW プロ

SBチームは、前作のロンドン ダンクと同じく、最終目的地のニューヨークでもホワイト ダンクをリリースし、オープニングをこのシューズで飾りたいと考えていた。そこでチームが協力を求めたのが、ステープルデザインやリードスペースのオーナーであるジェフ・ウン(ジェフ・ステープル)だ。ジェフは、テムズ川とロンドンのように、ニューヨークの街を何よりもよく表現する存在は、鳩しかないと思っていた。結局、ホワイト ダンクがニューヨークで披露されることはなかったが、ジェフがデザインしたシューズは2005年にリードスペースで発売され、店頭に並んだ客が暴動を起こす騒ぎとなった。警官が出動し、ニューヨークポスト紙で報道されたことで、SB ダンクのファンがついに世間に知られることとなったのだ。SB ダンクはこの15年で、不朽のレガシーを築き上げた。