地球の未来のために抗議活動を続けるガリマ・サクール

Culture

気候変動に向き合うインドの少女が登場。故郷の町で起きた環境災害を風化させないために、活動に取り組む15歳だ。

最終更新日:2021年11月1日
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MY BACKYARD 私の世界:地球の未来を守るために

「私の世界」は、自然界とのつながりやバランスを大切にするアスリートたちのシリーズ。

インド、ボパールに住む15歳のガリマ・サクールは、活動家として行動を起こす前から気候変動とそれが世界にもたらす破壊的影響に気が付いていた。13歳の時、レオナルド・ディカプリオがナレーションを務めたドキュメンタリー、『地球が壊れる前に』を観たガリマ。その恐ろしい映像は、彼女の気分を暗くさせ、「エコ不安症」に陥るほど衝撃的だった。彼女は、地球気候の非常事態はどこか遠いところの話ではなく、すぐ身近で起こっていることに気づかされた。すると急に、自分の住む町や国の至るところで発生している環境破壊の兆候が目につき始めたのだった。

「道路脇でタイヤが燃やされたり、どこかで木が切り倒されたり、家庭で使う水を確保するために人々が行列を作ったり、といったささいな出来事に、映画に込められたメッセージを感じ取るようになったんです」とガリマは語る。「これは非常事態のサインなんだと。インドの至るところで見られるこの兆しから、目をそらすことはできません」

ガリマが思い出すのは、ヒマーチャル・プラデシュ州の山間部に位置するビラースプル地区の祖母の家の近くの清らかなせせらぎ。「よく、いとこたちと歩いて川へ行ってました。人も少なく自由に遊べたし、川に魚が泳いでいるのが見えたんですよ」と、懐かしそうに話す。

幼い頃の懐かしい場所は、今やアスファルトで舗装され、命を育むせせらぎは消えてしまった。「道路脇によどんだ水たまりがあるだけ。道路ができたのは私が11歳の頃です。川で遊んだのはほんの数年だけど、その変化を見せつけられたのはショックでした」とガリマは言う。

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「いつか、議員や政治的リーダーが私のそばで立ち止まって、私が何をやっているのか尋ねる。そして、私の話に心から耳を傾けてくれるようになることを望んでいます」

策を講じなければ、ガリマが体験したような出来事が当たり前になっていく。きれいな空気と健全な地球なくしては、屋外で自由にウォーキングもランニングも、スポーツすることもできなくなる。

一方でガリマは、環境の別の側面、健全な環境がもたらす恵みも実感してきた。父が軍に務めているため、子ども時代の大半を、各地を点々とし、インドの汚染マップにはめったに取り上げられることのない都市で暮らした。「デラドゥーンやダラムコットみたいな、緑の多い町で育ったのはラッキーでした。毎日夕方、長い道のりを散歩して、きれいな空気を吸っていると、気分が晴れ、元気になれました」一家が規模の大きな都市に引っ越すと、あまり屋外で過ごせなくなった。ガリマは今、デラドゥーンに戻ってこの先の学業を続けることを計画している。

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新たに芽生えた責任感と、自然の中で過ごした幼少期の思い出が刺激になり、環境問題に取り組み始めたガリマ。スウェーデンのグレタ・トゥンベリを筆頭に世界中で大きな潮流になりつつある若い女性活動家の一人として、気候変動に警鐘を鳴らしている。科学はガリマの得意分野ではないため、環境危機を別の側面から解決することを目標に据えた。それは、法律を変えることだ。

年齢にそぐわない冷静さと真剣さで、ガリマはこう語る。「いちばん関心があるのは環境ガバナンスです。私が世界で力を発揮でき、地球規模の気候危機について、自分の意見を広く伝えられる分野だと思っています」ガリマはこの課題の重さを十分わかっているようだ。

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ガリマはすでに、インド屈指のロースクール、国立法科大学の受験準備に励んでいる。法の道を選んだ理由の一つは、ガリマが「アクティビズムに目覚めたきっかけの街」と話す、ボパールで起きた出来事にある。

1984年12月2日夜から3日にかけ、インド中部のマディヤ・プラデシュ州の都市ボパールで、史上最悪の工場災害の一つとして知られる事故が発生。古い市街の中心部にあった農薬工場から、およそ40トンもの有害ガスが漏れ出し、瞬く間に数千人の住民の命が失われたのだ。その後何十年にも渡り、直接または間接的に有毒ガスにさらされたことに起因する事故後の合併症や慢性的な健康障害で、さらに数千人が亡くなった。この災害による死者数は、25,000人以上に上るといわれている。

ガリマが生まれたのはこの事故の数十年後だが、1984年の破滅をもたらしたこの夜のことと、その後に作られた環境改善に関する法律には並々ならぬ関心を持ってきた。「この法律について、細かい意味も含めて理解したいんです。その上で、この法律がこれまで以上に影響力を及ぼすような形で施行する方法を模索していけたら」とガリマは語る。

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将来は法の分野で活躍することを目指しながら、毎週金曜日は、事故を起こした農薬工場のあった場所から20分のVIPロードでデモを行う。この若き環境活動家は、トゥンベリの「未来のための金曜日」をボパールで実行する、最もよく知られた顔となった。

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昨年の春に始めて以来、どんな天気であろうとガリマは「改革の日」を一日たりとも休んだことはない。ほとんどは一人だが、日によって友人や両親とともに、粘り強さ以上の強い精神を持ち、「Climate Strike!」と黒く太い字で書いたプラカードを掲げて街に立つ。

インドの同年齢の若者が、学校の詰め込み教育で成績を上げようと努力するなか、ガリマはその型を破る道を選んだ。彼女は、教室の外に出て、世界が直面する最も差し迫った課題に向き合っている。「私たちの世代がどんな危機にさらされているか、国の主導権を握る人々や同年代の仲間たちにほんの少しでも気付いてもらうことができれば、悪天候にもめげず費やしてきたすべての時間が報われるんです」

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近ごろ、ガリマの主な関心事は、地球の反対側にも広がっている。米国西海岸で増えている森林火災だ。火災は彼女の意識に鮮やかな映像として永遠に刻まれている。「気候非常事態について考えるたびに、火事を思い出します。吸い込んだ空気で窒息する苦しさを知っているから、見過ごせない気持ちになるんです」と彼女は言う。

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もし世界のリーダーたちが気候変動に今すぐにでも対処しなければ、故郷であるボパールで30年以上前に起きたような悲劇が、これから世界中を襲うことになるだろうとガリマは考えている。「大気が汚染されて呼吸できなくなり、水は汚れて飲めなくなり、魚は川に棲めず、畑では穀物が作れなくなるでしょう」とガリマ。「これを止めるよりも大事なことが、ほかにあるでしょうか?」

しかし、ガリマの一番のモチベーションとなっているビジョンは、頭の中で繰り返し思い描いているこんなシナリオだ。「いつか、議員や政治的リーダーが私のそばで立ち止まって、私が何をやっているのか尋ねる。そして、私の話に心から耳を傾けてくれるようになるんです」

文:プラヤグ・アロラ・デサイ
写真:ドリー・ハオランバン

公開日:2021年11月1日